2011年3月11日 14:46 東北地方を震源とするマグニチュード9.0という国内観測史上最大の大地震が日本を襲い、地震後に発生した大津波によって多くの命が失われたこの日から今年で10年が経ちました。
当時、東北地方にある吉川運輸の営業所も甚大な被害を受けました。幸いにもパート・アルバイトさん含む従業員は全員無事でしたが、避難生活や物資不足など困難な状況のなかで業務に戻ってくれた従業員の方々も多く、その後の復旧へつながりました。
当時の様子を知り、防災対策へ活かすことが大切だと考え、今回この特集を組むこととなりました。
2011年3月の時点で東北エリアには6営業所あり(上記の図ではYB栃木は除いています)、それぞれが被害・影響を受けました。
内陸にあった為建物に大きな被害はなく、インフラの改善後は他現場の業務を請け負うなどの対応。
地震では荷崩れがおきていた。センター1階部分に津波がきて車が構内に入ってきていた。
福島第一原子力発電所の事故により一時閉鎖となり、人員は日々YB郡山で応援業務。
地震直後は窓が割れ、大きなロッカーが倒れ、物が散乱した。停電したので充電が残っているフォークリフトのライトで出入口などを照らしていた。
津波警報を受け近隣のニチレイ仙台へ避難。屋上で津波を見ていた。流れてくる車が燃えており、消火活動を行うなどしたが命の危険を感じた。在庫から食べれるものを見つけ、寒さしのぎにラップを巻き、木パレを燃やして暖を取るなど工夫して一晩を過ごした。
避難訓練通りに集合場所へ集まり、点呼を取りお客様へも全員無事の報告を入れ、従業員を帰し残った人達は避難所指定されていた近隣のニチレイ仙台へ避難。従業員の安否確認をしながら本社他、関係者に連絡が取れた時は安心した。最終的に従業員全員の安否確認ができたのが10日後くらいで不安だった。
停電のため、数日間は業務が停止した。仙台の管轄店舗が盛岡に移されたので、物量の増加と普段扱わないドライ商品も発生し、多忙な日々となった。通常運転に戻ったのは数か月後だった。
地震の衝撃はすさまじく、トラックが突っ込んできたかのようだった。電話が繋がらず、誰とも連絡が取れなかった。自宅で待機している間は原発と放射能についてテレビで確認していた。営業所は床や壁に亀裂が入り、傾いた箇所もあった。
𠮷川ロジスティクスグループでは自然災害時の連絡体制を下記のように定めて実施しております。
報告フロー
緊急時は各現場のルールに従って安否連絡をしてください。もし担当者と連絡が付かない場合、本社の公式LINEにご連絡ください。公式LINEへは前もって友達登録をお願いします。
吉川ロジスティクスグループ 公式LINE
日本は自然災害の多発国です。1995年の阪神淡路大震災、2011年の東日本大震災、そしてその後も2016年の熊本地震や2018年の台風21号、その直後の大阪北部地震も記憶に新しく、近年では記録的豪雨も毎年のように発生しています。
経験から学び、今日、明日、大災害が起きたらどうするかを考え、防災意識を常に持ち、緊急時の対策を各営業所でしっかりと構築し、従業員への周知徹底など日頃から次の災害に備えることが大切です。
取材協力:( )内は当時の所属営業所
工藤敦志課長(イオン盛岡) 高橋文子課長(YB仙台) 糸賀正和課長(YBいわき) 大澤雅彦係長(YB仙台) 赤間和幸(YB仙台) 髙橋健治(YB仙台) 山本順也(YB仙台)